エルサレム(2)


聖マリア永眠教会

聖マリア永眠教会

エルサレム旧市街の南西に位置するシオン門を出てすぐのところにある大きな教会。聖母マリアをまつった教会で、地下には永眠する聖母像があった。ここ以外にエルサレムにはマリアの墓の教会もある。しかし、トルコのエフェスにはマリアがイエス亡き後余生を過ごしたという家があり、ここで亡くなったという説がある。実際のところ、どこで亡くなったかは不明のようだ。ここも欧米の団体ツアー客で一杯だった。教会は1910年から10年がかりで建てられたものだそうで、歴史的な重みはあまり感じられない。

最後の晩餐の部屋

最後の晩餐の部屋(現モスク)

イエスが弟子たちとともにとった「最後の晩餐」の部屋といわれている。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にダビンチの「最後の晩餐」があるが、この絵をイメージしてくると拍子抜けする。十字架とかそれらしいものはまったくない。オスマントルコ時代にはモスクとして使われた。写真にミハラブ(メッカの方向を示すくぼみ)があるのでわかるが、今も最後の晩餐の部屋というよりイスラム教徒のためのモスクという感じ。

聖ペテロ(鶏鳴)教会

聖ペテロ(鶏鳴)教会

祭司カヤパの屋敷跡で、この教会の地下にイエスが投獄された牢(当時の石段が保存されている)がある。ここから、ビア・ドロローサ(悲しみの道)の第1ステーションへ行き、ローマ総督ピラトによる裁きを受けたということらしい。また、イエスが弟子のペテロに対して「今日この夜、鶏が2度鳴く前に、あなたは3度私を知らないと言うだろう」と予言し、自分に罪が及ぶのを恐れたペテロが予言どおり嘘をついたのもこの場所。城壁外の南に広がるダビデの町が見渡せる。エルサレムは丘の街というのがわかる。

ユダヤ王ダビデの墓

ユダヤ王ダビデの墓

紀元前1020年初代サウルによりユダヤ国家が興った。2代目国王がダビデで首都をエルサレムとした。シナゴーグ(ユダヤ教でいうところの寺院?)内にあり、男性は頭にキッパと言われる河童のお皿状のもので頭を覆わなければならない。観光客は入口でお布施を払って紙製のキッパをかぶらされる。チェコのプラハにあるシナゴーグでもお金を払ってキッパをかぶらされたが、そのキッパは持ち帰れた。(紙製じゃなくもう少し上等だった。)ここのは持ち帰ろうとすると、返却するように言われ、持ち帰れない。イスラエルの国旗にもあるダビデの星が刺繍された布で棺が覆われている。

ダビデの次の王ソロモンはエルサレムに神殿を建て国家を繁栄させた。が、彼の死後、北のイスラエル、南のユダヤに分裂し、それぞれアッシリア(B.C.722)、バビロニア(B.C.587)に侵略され、バビロン捕囚となる。

嘆きの壁

嘆きの壁(ユダヤ人にとっての聖域)

B.C.538バビロニアがペルシャにより滅ぼされ、バビロン補囚を解かれたユダヤ人は、バビロニアによって破壊された神殿を再建した(第2神殿)。B.C.322アレキサンダー大王の死去によるギリシャの支配、B.C.60からのローマの支配を経て、A.D.70年ローマにより神殿が破壊され、エルサレムは陥落する。この壁の下部の石は第2神殿時代のものと言われている。この壁の内側はイスラム教の聖域で岩のドームがある。ユダヤ暦は第2神殿崩壊を創造紀3830年とし、新年は西暦の9月〜10月になる。この時は創造紀5759年のシムハット・トーラーというお祭りだったようだ。ユダヤ人はトーラー(聖典?)を毎週1節ずつ1年で読み終えるようで、翌年また創世記から読み始めるにあたって、1年間読んだトーラーに感謝し祝うそうだ。

ユダヤ人の祈り

ユダヤ人の祈り(嘆きの壁横の城壁内部)

嘆きの壁に向かって左に行くと城壁内部に入れた(お祭りで特別に開いていたのかもしれない)ので入ってみた。黒装束のユダヤ人でごったがえしていて、椅子に座りお祈りをしているようだった。エルサレムへ来る長距離バスの中やエルサレムの街中でバスを待つ黒装束のユダヤ人、みんないつもトーラーを携えていて、暇があればそれを読んでいる光景をいたるところで見たのだが、ここでは図書館のようにその聖典が並んだ本棚がたくさんあった。イスラエルではメガネをかけている人が多いのだが、薄暗がりでも平気で本を読んでいるユダヤ人を見てなるほどと思った。

ヤド・バシェム

ヤド・バシェム(ホロコースト慰霊博物館)

第2次大戦中、ナチスによる虐殺(ホロコースト)にあったユダヤ人たちを慰霊する目的で建てられた博物館。ヤド・バシェムは、ヘブライ語の記念・記憶の意味。この部屋は床にユダヤ人収容所の名前が刻まれており、左奥には火が燃え続けていた。広島の平和公園の原爆慰霊碑の火とイメージがダブった。この写真の中央には有名なアウシュビッツ・ビルケナウの名前がある。他に、犠牲者の子供の名前を読み上げる声がスピーカーから流れる中、鏡の仕掛けで無数のろうそくの火に囲まれているように見える暗い通路を歩かされるような部屋もあった。

博物館内

博物館内

ホロコーストについてビデオや写真で展示されている。これは、アウシュビッツ収容所の写真、毒ガスのチクロンB(固形)とそれが詰められていた缶である。


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